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「光市事件懲戒呼びかけ 橋下知事が逆転勝訴」 ~ これではもはや、あの種の刑事弁護の引き受け手はいなくなるだろう

先日から光市母子殺害事件の死刑判決の問題点、
被害者遺族について書いてきましたが
元少年とこの事件を引っ掻き回した橋下徹について書きます。

加害者について、もちろん放っておいていいといっているわけではありません。

むしろこのような事件を二度と起こさないようにするために、
裁判、生育暦の調査や、精神鑑定はきっちりやるべきでしょう。
特に虐待の有無、障がいがどう扱われてきたか、向精神薬を始めとした、
処方薬物の使用の有無は徹底的に調べて、公表するべきでしょう。

(若い方はご存じないかもしれませんが、下の引用に出てくる麻原彰晃は
親の愛を知らないで育ち、水俣病の被害による障がい者であり、
それでありながら認定されていないと言われています。ウィキペディア)

今や誰もが処方薬や、公害病、原発事故の放射線の、
被害者になる可能性が高くなってきました、
それでなにかの事件に巻き込まれたとき、
こういう弱者の弁護を引き受ける、弁護士がいない、では困ります。


橋下徹は自ら親の愛に恵まれなかった人であり、
そういう人が同じ親の愛に恵まれなかった人たちを
徹底的に攻撃しているのを見ますが、皮肉というよりは必然でしょう。

教育改革が、どーとか言っていますが、
学校教育など、親、家庭がしっかりしていれば、絶対に必要なものではありません。
○○高校卒、○○大学卒のレッテルを貼る場所に過ぎません。

しかし時として、学校は家庭に恵まれない人の家庭の役割をし、
教師は親の役割をします。
そういう人たちにとって居心地の悪いものにしようとしていることを、
(自分がそういう立場であったにもかかわらず)自覚できていないようです。

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(↓すみません、コピーしたのはいいのですが、古い記事のためか、
記事のアドレスが見つかりません。書かれたのはこの方のようです)
来栖宥子★午後のアダージォ
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47
==================================引用はじめ

「光市事件懲戒呼びかけ
橋下知事が逆転勝訴」
~ これではもはや、あの種の刑事弁護の
引き受け手はいなくなるだろう

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/2011071
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/2011071

〈来栖の独白〉
 最高裁は橋下氏の発言を「配慮を欠いた軽率な行為」としながらも、
懲戒請求の呼びかけによって「被告弁護団側の弁護士業務に
多大な支障が生じたとまではいえず、
その精神的苦痛が受忍限度を超えるとまでは言い難い」と結論付けた。
 メディアに煽動されネットも一体となって大規模に展開された「私刑」を、
精神的苦痛が受忍限度を超えるとまでは言い難い、という
のである。これではもはや、あの種の刑事弁護の引き受け手はいなくなるだろう。
悪しきポピュリズムが、メディアのみならず法廷をも席巻している。
 どこを見渡しても、プロがいない。法廷にも、政治にも。
 メディア、市民感覚から、痛みが感じられない。テレビ(新聞も)は私刑法廷と化し、
他者の痛みを慮るやさしさ、センシティブな能力が姿を消した。
 生粋の弁護士安田好弘氏は、その著書『死刑弁護人』のなかで、云う。
 “私は、これまでの弁護士経験の中でそうした「弱い人」たちを
たくさんみてきたし、そうした人たちの弁護を請けてきた。”と。



安田好弘著『死刑弁護人 生きるという権利』講談社α文庫
p3~
 まえがき
 いろいろな事件の裁判にかかわって、はっきりと感じることがある。
 なんらかの形で犯罪に遭遇してしまい、結果として事件の加害者や
被害者になるのは、たいていが「弱い人」たちなのである。
 他方「強い人」たちは、その可能性が圧倒的に低くなる。
 私のいう「強い人」とは、能力が高く、信頼できる友人がおり、
相談相手がいて、決定的な局面に至る前に問題を解決して
いくことができる人たちである。
 そして「弱い人」とは、その反対の人、である。
 私は、これまでの弁護士経験の中でそうした「
弱い人」たちをたくさんみてきたし、そうした人たちの弁護を請けてきた。
 それは、私が無条件に「弱い人」たちに共感を覚えるからだ。
「同情」ではなく「思い入れ」と表現するほうがより正確かも
しれない。要するに、肩入れせずにはいられないのだ。
 どうしてそうなのか。自分でも正確なところはわからない。
 大きな事件の容疑者として、連行されていく人の姿をみるたび、
「ああ、この人はもう一生娑婆にはでてこられないだろうな・・・」
と慨嘆する。その瞬間に、私の中で連行されていく人に対する
強い共感が発生するのである。オウム真理教の、麻原彰晃さんのときもそうだった。
 それまで私にとって麻原さんは、風貌にせよ、行動にせよ、
すべてが嫌悪の対象でしかなかった。宗教家としての言動も
怪しげにみえた。胡散臭いし、なにより不遜きわまりない。
私自身とは、正反対の世界に住んでいる人だ、と感じていた。
 それが、逮捕・連行の瞬間から変わった。その後、麻原さんの主任弁護人となり、
彼と対話を繰り返すうち、麻原さんに対する
認識はどんどん変わっていった。その内容は本書をお読みいただきたいし
私が今、あえて「麻原さん」と敬称をつける理由もそこにある。
 麻原さんもやはり「弱い人」の一人であって、好むと好まざるとにかかわらず、
犯罪の渦の中に巻き込まれていった。今の麻原さんは
「意思」を失った状態だが(これも詳しくは本書をお読みいただきたい)、
私には、それが残念でならない。
麻原さんをそこまで追い込んでしまった責任の一端が私にある。
 事件は貧困と裕福、安定と不安定、山の手と下町といった
環境の境目で起きることが多い。「強い人」はそうした境目に立ち
入らなくてもじゅうぶん生活していくことができるし、
そこからしっかり距離をとって生きていくことができるが、「弱い人」は事情が
まったく異なる。個人的な不幸だけでなく、さまざまな社会的不幸が重なり合って、
犯罪を起こし、あるいは、犯罪に巻き込まれていく。
 ひとりの「極悪人」を指定してその人にすべての罪を着せてしまうだけでは、
同じような犯罪が繰り返されるばかりだと思う。
犯罪は、それを生み出す社会的・個人的背景に目を凝らさなければ、
本当のところはみえてこない。その意味で、一個人を罰する刑罰、
とりわけ死刑は、事件を抑止するより、むしろ拡大させていくと思う。
 私はそうした理由などから、死刑という刑罰に反対し、死刑を求刑された
被告人の弁護を手がけてきた。死刑事件の弁護人になりたがる弁護士など、
そう多くはない。だからこそ、私がという思いもある。
 麻原さんの弁護を経験してから、私自身が謂われなき罪に問われ、
逮捕・起訴された。そういう意味では私自身が「弱い」側の人間である。
しかし幸い多数の方々の協力もあり、1審では無罪を勝ち取ることができた。
裁判所は検察の作り上げた「作文」を採用するのでなく、
事実をきちんと読み込み、丁寧な判決文を書いてくれた。
 多くの人が冤罪で苦しんでいる。その意味で、私は僥倖であった。
 この国の司法がどこへ向かっているのか、私は今後も、
それを監視しつづけていきたいと思っている。「弱い人」たちに、肩入れ
しつづけていきたいと思っている。(~p5)


◆バッシング渦中の安田好弘弁護士に再び聞く 
◆被害者の感情に全面的に依拠するという安易なワイドショーの規範


 弁護団の依頼により元少年被告人の精神鑑定を行った野田正彰氏
(関西学院大学教授・精神科医)の話
「週刊ポスト」2007,8,17・24
 〈光市母子殺害事件差し戻し審〉
 広島拘置所の面会室。透明なアクリル板をはさんで
、山口県光市母子殺害事件の被告人Aと私が初めて対面したのは、
今年1月29日のことです。
 Aの口調はボソボソと頼りなく、内向的な印象を受けました。
感情も表にほとんど現わさない。拘置中に『広辞苑』をすべて
読んだというだけあって、難解な言葉も使うのですが、
概念をよく理解していない。およそ26歳とはほど遠く、中学生、否、
小学生のような印象を最初に抱きました。
 しかし、淡々と話していても、ひとたび父親のことが話題にのぼると、
Aは心底怯えた表情を見せる。Aは「捕まったとき、これで
父親に殺されなくてすむと思った」とすら語った。それは、
父親の暴力がどれほどAの心を傷つけていたのかを物語っていた。
 その日を機に、2月8日、5月16日と、計3回合計360分超に及ぶ面談が始まったのです----。
 ここにきて、Aの主任弁護人である弁護人安田好弘弁護士ら21人の
弁護団に対して、脅迫や嫌がらせが続発しています。
日弁連や朝日新聞社あてに送られた脅迫文には、弁護人安田氏を「抹殺する」と
脅し、銃弾のような金属片まで同封されていたと報じられています。
 安田氏の依頼でAの精神鑑定をした私に対しても、<(野田は)犯人を擁護し、
遺族を深く傷つける証言を行った。また、
シンポジウムでは遺族本村洋に対し、「社会に謝れ」などの脅迫・侮辱的な
暴言を吐いた>などと、まだ公判で証言もして
いないのにデマが意図的に流されていた。さらに、勤務先である
関西学院大学には、電話やメールで「辞めさせろ」「大学の恥」
などの抗議がありました。ネットには、私が死刑廃止論者であるとして、
Aの死刑を阻止するために弁護団に協力しているとの書き込みもありました。
 私は精神科医として病気の診断をするのであり、刑の判断は司法が行うものです。
 しかしマスコミ、とりわけテレビは偏向報道で大衆裁判の風潮を煽った。
「凶悪犯を弁護するとは何事だ」とばかりに、
弁護団を犯人と同一視し、憎悪の感情を扇情的に煽り続けた。
*「父に殺されると思った」
 そもそも、安田弁護士が依頼してきたのには理由があります。
 Aの述べることがよく理解できず、またあまりの幼さに驚いた。その上
、家庭裁判所の調査官(3名)による詳細な「少年記録」
には「AのIQは正常範囲だが、精神年齢は4,5歳」と書かれていた。
また、生後1年前後で頭部を強く打つなどして、脳に器質的な脆弱性が
存在する疑いについて言及していました。
 さらに広島拘置所では、Aに統合失調症の治療に使う向精神薬を
長期多量に服用させていました。当惑した弁護団が
精神鑑定を求め、裁判所が認めたのです。
 精神鑑定では、Aへの直接面談以外にも、Aの父親、実母方の祖母、
実母の妹、Aの友人にも話を聞いています。Aの生育歴、
人格形成の経緯を多角的に調べました。結果、私は「Aは事件当時、
精神病ではなかった。しかし、精神的発達は極めて遅れており、
母親の自殺時点で留まっているところがある」という結論を下しました。
 なぜ、Aには精神的発達の遅れがあったのか。理由を知るためには
、Aの幼少期まで遡らねばならない。
 Aは1981年、山口光市で、地元の新日鉄に勤務する父と、
母の間に長男として生まれました。2歳年下の弟とともに育てられ
ましたが、家庭は常に「暴力」と「緊張」そして「恐れ」に支配されていました。
 父親は、結婚直後から、母親に恒常的に暴力を振るっていたようです。
これは実家の母や妹が外傷を見ています。
 父親から暴力を受け続ける母親の姿は、Aにはどう映っていたのでしょうか。
 Aはやがて、母をかばおうとするようになります。これを契機に、
父親の暴力の矛先は押さないAにも向うようになった。
「愛する母を助けてあげられない」という無力感にも苛まれる。
幼児期、父親に足蹴にされ、冷蔵庫の角で頭を打ち、
2日間もの間朦朧としていたこともあったそうです。
 小学校1~2年生ごろに海水浴に行った際には、一親は、
泳げないAが乗ったゴムボートを海の上で転覆させ、故意に溺れさせた。
また、小学3~4年生ごろには、父親に浴槽の上から頭を押さえつけられ、
風呂の水に顔を浸けられたといいます。
この時、彼は「殺されると思った」と感じている。
 父親の暴力は、些細なことから突然始まるために、
Aは、どう対応すればいいのか分からなかった。
 Aが母親を守ろうとすると、父から容赦ない暴行を受け、
逆に母親がAを守ろうとすると、父は母に対して暴力を加えた。
「どうしようもなかった、何もできなかった、亀になるしかなかった。僕は守れなかった」
 面接中あまり感情を表現しないAですが、母のことになると無力感に顔を歪めていました。
 このようにAは、常に父親の雰囲気をうかがってびくびくするような
環境で育ちました。本来、愛を与えてくれるはずの親から虐待され続けたA。
そして、彼の人間関係の取り方、他人との距離の置き方は混乱してゆくのです。
*「母の首つり遺体」の記憶
 父親の暴力に怯える母とAは、ともに被害者同士として、共生関係を持つようになります。
 母親は親族からも遠く離れ、近くに相談相手もおらず孤立した生活を送っていた。
その中で、長男のAとの結びつきを深めていった。
母親はAに期待し、付っきりで勉強を見た。Aも、
母親が自分の面倒を見てくれることが本当に嬉しかったと語っています。
 そしてAが小学校の高学年になると、2人の繋がりは親子の境界を
あいまいにする。母子相姦的な会話も交わされるようになりました。
 母親から「将来は(母とAとで)結婚して一緒に暮らそう。
お前に似た子供ができるといいね」と、言葉をかけられたことが
あったといいます。
「母の期待に応えられるかどうか、本当に似た子が生まれるのか不安だった」と、
Aは当時の心境を振り返っています。
 Aは私との面談で、母親のことをしばしば妻や恋人であるかのように、
下の名前で呼んでいました。それほど母親への
愛着は深く、母親が父親の寝室に呼ばれて夜を過ごすと、
「狂いそうになるほど辛かった」とも話しています。
 母親は虐待により不安定になり、精神安定剤や睡眠薬にも頼るようになり、
自殺未遂を繰り返しました。そして、
Aが中学生(12歳)の時に38歳で自殺します。その際、
自宅ガレージで首を吊った母親の遺体を、Aは目撃している。
 Aにその時の状況を聞くと、求めてもいないのに詳しい図面を描き始める。
それほどその時のショック、精神的な外傷体験は鮮明に記憶されている。
Aは「(母親の)腰のあたりがべったり濡れていた。その臭い(自殺時の失禁)も
覚えている」と語りました。
 彼はまず、「父親が愛する母を殺したのだ」という念を強くします。
これには二重の意味がある。
「父親の虐待で母が死を選んだ」という思い。さらに、
父親が第一発見者を祖母から自分へ変えたことから、
「父親が直接殺したのではないか」という疑いです。
 母を殺した父を殺そうと包丁を持って、眠っている父のもとに行ったことも
あったが、かわいそうで実行できなかった
ともいっています。弟と2人で殺すことを考えたが
まだ負けると断念したともいっています。
 同時に、Aは「母親を守れなかった」との罪悪感も募らせていった。
後追いして自殺しない自分を責めてもいます。
 こうした生育歴と過酷な体験により、Aの精神的発達が極めて遅れた状態に
なったと考えられる。理不尽な暴力を振るう父親を恐怖し避ける。
一方、母親とは性愛的色彩を帯びた相互依存に至った。父親の暴力がいつ始まるか、
怯えながらの生活は他人との適切な距離感を育むことを阻害した。
Aは、他人との交流を避け、ゲームの世界に内閉していった。
 そして、母親の死の場面は、強烈な精神的外傷としてAの心に刻まれた。
この精神的外傷は、以後、何度となく彼の心の内を脅かすこととなりました。
死刑になれば「弥生さんの夫に」
 検察はAの犯行を、計画を立て、女性だけの家に入り込んで強姦しようとした、
としています。ところが、犯行当日、Aはなんとなく友人の家に遊びに行って過ごし、
友人が用事があるというので、たまたま家に帰った。そして、何となく
時間を潰すために近くのアパートで無作為にピンポンを押していった。
そこに、緻密な計画性は認められない。
 たまたまドアを開けた本村弥生さんが、工事用の服を着ていたAを見て、
「ご苦労さま」と受け入れた。その時、Aは弥生さんの先に、
かつてすべてを受け入れてくれた亡き母を見ていたと考えられるのです。
 弥生さんの抵抗に驚いたAは、殺害に至る。プロレス技の
スリーパーホールドで絞めた行為をAは、「ただ、静かに
してもらいたかっただけ」と語っている。殺害後、ペニスを挿入したことについては、
母親との思い出がフラッシュバックしたと考えられます。
理由は首を絞められた弥生さんが失禁したこと。その異臭で母親の自殺の光景が蘇った。
そこで母親と一体になろうとした思いに戻っていったのかもしれません。
 ただし、A本人は、このセックスを「死者を蘇らせる儀式。
精液を注げば生き返ると思った」とも主張していますが、これはどうか。
当時、本当にそう考えていたかは疑問も残り、後付けの可能性もあります。
 夕夏ちゃんを殺害して、遺体を押し入れの天袋に入れた行為はどうか。
本人は、「押入にはドラえもんがいて、何とかしてくれると思った」と話していますが、
彼は夕夏ちゃん殺害について私に「思い出せない、分からない」と答えている。
ですから、犯行時にドラえもんの存在が思い浮かんだかどうかはわかりませんし、
これも後付けの可能性がある。 ただし、彼が、自分の中に閉じこもり、
ファンタジーの世界に生きていたということは事実でしょう。
 また、彼は、自分の母親や弥生さんが死んでしまったこと、
死は無であることを認識しているかどうか。
「死んでいるが、生きている」と二重の思いを語ります。
「もし僕が死刑になって、先に弥生さん、夕夏ちゃんと一緒になっては
いけないのではないか。再会すれば、自分が弥生さんの夫になる可能性があるが、
これは本村さんに申し訳ない」と語るA。世間は反省の気持ちもない傲慢な
主張と受け取るかもしれませんが、実際の本人は十分に反省する能力もない
ほど幼稚だからこそ、弁護団でさえ戸惑うようなことを平気でいうのです。
 繰り返しますが、彼は事件当時、統合失調症や、妄想性障害のような
精神病ではありません。しかし、精神的発達は母親の自殺の時点で停留しており、
18歳以上の人間に対するのと同様に反省を求めても虚しい。
本人も混乱するばかりです。さらにいえば、父親の暴力への恐怖、
母親への感情を分析していけば、Aの発展を促すことは十分に可能だと考えられる。
 例外なく、殺人は最悪の行為です。しかし、事件は事実に向かって調べられなければ
ならない。精神鑑定は、精神医学に基づいて、多元的に診断されるものです。
 もちろん、妻と1歳にも満たない子どもという最愛の2人が殺されている被害者遺族が、
Aへの怒りと憎悪を強めていくことは痛いほど理解できます。
 しかし、その感情をさらに煽るようなマスコミ報道は許されない。
 Aが死刑になるかどうかは、裁判所、司法が決めることです。
解明された事実を正しく伝えることが、マスコミの役割ではないか。
どのメディアも、犯人憎しの報道で同じ方向を向いて、
事実を追う媒体はまったくありません。
これは「ジャーナリズムの放棄」を意味するのではないか。
 さらにいえば、Aが苦しんできた家庭内暴力のような不幸な現実に光を
あてることも、マスコミの使命ではないか。
 公判の最後、「事件を通して、いったい何を考えなければならないのでしょうか」
との問いが投げかけられた。
私は「社会は、(Aを)殺せというだけでなく、彼がこれほどの家庭内暴力に対し
誰にも助けを求めることができなかったことへの反省はないのでしょうか」と答えた。
二度とこのような不幸な事件を繰り返させないためにも、皆が
冷静に考えることを望むばかりです。



<弁護士懲戒呼びかけ>橋下大阪知事が逆転勝訴 最高裁判決
毎日新聞 7月15日(金)16時25分配信
 橋下徹大阪府知事が知事就任前に出演したテレビ番組で、山口県光市母子殺害事件の被告弁護団に対する、懲戒請求を視聴者に呼びかけた発言によって「請求が殺到して業務に支障が出た」として、弁護団のメンバーら4人が橋下氏に損害賠償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷(竹内行夫裁判長)は15日、360万円の支払いを命じた2審判決(09年7月)を破棄し、弁護団側の請求を棄却した。
 最高裁が今年6月に弁論を開いたため、2審判決の見直しが予想されていたが、橋下氏側の逆転勝訴が確定した。

 橋下氏は07年5月、出演した民放番組で、被告少年(事件当時)の殺害動機を「失った母への恋しさからくる母胎回帰」と位置づけた弁護団を批判。「(弁護団を)許せないと思うなら、一斉に弁護士会に懲戒請求をかけてもらいたい」などと発言した結果、08年1月までに4人に約2500件の懲戒請求が寄せられた。
 1審の広島地裁判決(08年10月)は「(橋下氏の)発言の一部は名誉毀損(きそん)に当たり、懲戒請求の呼びかけも不法行為になる」と判断して800万円の賠償を命じたが、広島高裁は弁護団批判の部分について「意見や論評の域を出ていない」と名誉毀損の成立を否定し、懲戒請求の呼びかけに限定して賠償を命じていた。
【伊藤一郎】最終更新:7月15日(金)17時10分
==================================引用終わり


橋下がこの母子殺害事件に絡んで起こした事件は、早い話がこういうことです。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20120221/1329782292
==================================引用はじめ
2012-02-21 光市母子殺害事件と橋下徹
光市母子殺害事件, 橋下徹

光市母子殺害事件で被告の死刑が確定した。

最近、この事件を思い出すことが多くなっていたのだが、それは橋下徹のせいである。橋下は、2007年5月27日に大阪・読売テレビの番組『たかじんのそこまで言って委員会』に出演し、同事件の弁護団に対する懲戒請求を視聴者に煽った。その結果、大量の懲戒請求が殺到したが、なんと橋下自身は懲戒請求をしていなかった。

橋下がなぜ懲戒請求を煽ったかというと、単にウケをねらったのである。今朝のワイドショーを見ても、この事件に延々と時間を割いていたが、当時も同じであり、たとえばブログでも「光市母子殺害事件」を取り上げただけで、このキーワードによるアクセスが殺到したものだった。特に大人気を博したのは厳罰論を声高に叫ぶブログの数々だった。

橋下がテレビで懲戒免職を煽った2007年5月は、安倍晋三が総理大臣で右翼的な空気が強く、その中でもたかじんの番組といえば、右寄りの視聴者に特に好まれた番組だった。その当時に話題になった事件。橋下にとってこれほどのウケ狙いのチャンスはなかった。

橋下の行動は、常にこの「ウケ狙い」が動機になっていると考えると、すべてが説明できる。「脱原発」にしても、それが世間のトレンドだから乗っかっただけで、間違っても橋下の信条に基づくものではない。

首相公選制やら一院制などの憲法改定を必要とする政策を橋下がブチ上げているのも同じであって、橋下は単に「自民党にもできなかった改憲」がやりたいだけなのだ。教育カイカクにしても極端に新自由主義的な経済政策にしてもすべては同じ、「ウケ狙い」に端を発する行動である。

だからこそ、橋下徹を「全否定」しなければならないのである。

====================================引用終わり
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