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絶対原子力戦隊スイシンジャー

前回の記事にコメントを下さった方から、情報をいただきました。
原発に関する動画ですがなかなかよくできていると思います。

絶対原子力戦隊スイシンジャー


スイシンジャー異形編



またコメントにもあったのですが、
小出裕章さんの話は、要点がよくまとめてあって
子どもにでもわかりやすいのではないかというご意見でした。

私もそう思います。

また、以前は自分の考えを持っていると感じられるような先生が、いたように思います。
心からの言葉は、不思議と子どもにもわかるものですね。

たとえば、オイルショックのころだったか、
将来人々は石油の枯渇によってではなく、
使ったものの後始末で、困ることになるだろう、
と言う趣旨のことを言った先生がいました。

なんのことかおぼろげにしかわからなかったのですが、大変印象に残っていて、
原発事故の後、この言葉を時々思い出すんです。

当時珍しかったヨーロッパ旅行に行って、スライドまで作り
微にいり細にわたって、何時間も授業をつぶして丁寧に話をしてくれた先生。

口紅の原価は3円だと言った先生。

教科書に載っていない、試験に出ない、先生の自らの考えだったので、
いつまでも忘れないのでしょう。

しかし、変な管理が行き届いてしまうと、先生が萎縮してしまうのではないかと、
それを危惧するわけです。

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話は変わって、
朝日新聞の論壇時評で、気になるというか、
懐かしい、昔からこういう情報はあったよね。
・・・という記事があったので、引用します。

こちらのブログからの転載です。

http://yamachanblog.under.moo.jp/?eid=427

==============================引用はじめ
ぼくには「常識」がない? 高橋源一郎
朝日新聞 平成24年4月26日朝刊 論壇時評より

 1年前、長男のれんちゃんが小学生になった時のことだ。最初に、校長先生が、舞台中央の演壇に向かって深くお辞儀をした。でも、演壇にはなにもない。「はて?」と思って、よく見ると、左奥に日の丸の旗がある。誰に向かって、何のためにお辞儀をしているんだろう。まるでわからない。ぼくには常識がないからなのかな。しばらくして、「国家斉唱」の番になった。そしたら、ぼくは、なんだか憂鬱になった。誰がこんなやり方を決めたんだろう。半月前の保育園の卒園式には、あんなに感動したのに。
 で、突然気づいたんだ。卒園式では、子どもたちがたくさんの歌を歌った。みんな、子どものための歌だった。でも、小学校の入学式で歌うのは、子どものための歌じゃない。これは、子どもたちのための式じゃなかったんだ!だから、こう思ったよ。「小学校の入学式は、たぶん、キョウイクイインカイとかそれを指導しているエラい人のための式なんだ。だから、イヤになっちゃうんだ。現場の先生に任せたら、もっと嬉しいものになったのになあ」って。
 家に戻って、「入学式」のことをちょっと調べてみた。アメリカでは、登校する最初の日、みんな講堂に集合する。真ん中にテーブルを置いて、そこにジュースやチョコレートを並べる。雰囲気は、まるでパーティみたいだって書いてる人がいた。それって式じゃないよね。オーストラリアやイギリスでも、入学式はないみたいだし、そもそも「入学式」自体が、「常識」ってわけじゃなかったんだ。ランドセルは、もともと「軍隊」と共に輸入された背嚢が起源だし、日本で最初に運動会をやったのは海軍兵学校だった。「入学式」って、実は「入隊式」なんじゃないのかな。

 今月、「教育」について論じたものが多かったのは、「教育」に、たいへんなことが起こっているからなんだろうか。
 大活躍しているのは尾木ママこと尾木直樹さん。二つも雑誌に登場している(※1・2)。
 尾木さんがいっているのは、(日本の)みんなが「常識」だと思っていることが、実はそうじゃないってことだ。 この国の外では、教育はどうなっているのか。世界を飛び回って、尾木ママは調べる。たとえば、「世界で大学入試試験をやっている国はほとんどない」とか、日本のパパやママは、世界の平均の2倍から3倍も教育にお金を払わされているとか。知らないことばかりだよ。オランダでは、「朝学校に行って1時間目から5,6時間目までの時間割を決定するのは子どもたち自身」で、先生はそれを支援する役目。そして子どもたちは「自分が決めたことだから自分で責任を持とう」とするていうんだ。宿題だってまったくないってさ(※1)。それでも、160カ国からも移民が集まるこの国で、日本と学力が変わらないのは、「子どもたちの人権」こそ最優先だ、という考え方があるからなのかもしれないね。
 あなたの国では子どもたちが悲惨な状態のまま放置されている、っていわれたら誰だって驚くよ。しかも、その場所が「学校」だっていうんだから。桜井智恵子さんの『子どもの声を社会へ』(※3)の最初の方に書いてあるのはこのことだ。国連・子どもの権利委員会が、厳しい競争環境が子どもたちをイジメや精神障害といった不幸な状態に陥らせていると日本に勧告した(※4)。へえ、そんな風に見られていたのか。ぼくは「世界の常識」を知らなかったんだ。
 日本で初めて「子どもの人権オンブズパーソン」制度を作ったのは兵庫県川西市で、桜井さんはそのオンブズパーソン。競争社会は、弱い者に負担を強いる社会だ。そして、もともと弱い者とは子どものことだ。桜井さんは、疲れ傷ついた彼らの声に耳をかたむけ、立ち上がる手助けをする。その過程で、桜井さんは気づく。子どもたちが、悲鳴のように、この社会の構造を変えてほしいって訴えてることに。桜井さんは、こういう。
 「私たちの社会は子どもたちが引き継いでくれる。だから大人は、子どもに失礼のないように、思考停止をしてはいけない。」

 その通りだ。この社会は、やがて子どもたちに引き継がれる。なのに、ぼくたちの「常識」には「子どもに失礼のないように」ということばがないんだ。
 「常識」があてにならないのは、それだけじゃない。ぼくたちは、ギリシャをヨーロッパの一部だと思っている。でも、村田奈々子さんは、確かに古代ギリシャ文明はヨーロッパ文明を産んだけど、中世以降、正教会に属するキリスト教の地だったギリシャはヨーロッパではなかったと書いている(※5)。だから、ヨーロッパはギリシャに冷たいんだってさ!
 それから。北朝鮮の「ミサイル」発射の件もなんか変な気がするんだよ。海外のメディアは、「ロケット」と呼んでるみたいだけど、日本にいると、目に飛び込んでくるのは「ミサイル」ということばだ。弾頭を装着すれば「ミサイル」で、宇宙開発が目的なら「ロケット」というらしいんだけど、そんな違い、なんか意味があるのかな。っていうか、その「ミサイル」より、アメリカ軍が持ち込んでいるかもしれない核兵器や福島第一原発4号機の燃料プールの方がずっと怖いと思っちゃうのは、ぼくに「常識」がないからなんだろうか。


※1 尾木直樹「子どもたちの新しい人権のために」(現代思想4月号)
※2 尾木直樹・上肥信雄の対談「学校を死なせないために」(世界5月号)
※3 桜井智恵子『子どもの声を社会へ』(岩波新書、2月刊)
※4 国連子どもの権利委員会の「最終見解:日本」(外務省のホームページから、http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jido/pdfs/1006_kj03_kenkai.pdf)
※5 村田奈々子「ギリシャはどれほど『ヨーロッパ』か?」(中央公論5月号)

===============================引用終わり

96958A88889DE2EAE6E5E4EBEBE2E2E3E2E4E0E2E3E2E2E2E2E2E2E2-DSXBZO0847750001062010000001-PB1-2[1]

まあ、この文章にも突っ込みどころはたくさんあります。

まず、何回も結婚、離婚している、そんな還暦過ぎた高橋源一郎の長男が
小学校2年生になったばかりであったとは(こりゃまたびっくり)

ここに書いてあることは、
私の子どもが小学生年齢だったとき言われていた問題点と何も変わらない気がします。
今は韓国や中国の教育事情はどうであるかとかそういうことも気になるのです・・・


そして、大切なれんちゃんをこれからもこんなに
「常識のない」学校に通わせ続けるのでしょうか??
3.11、原発事故を経験してもなおですよ!!
それがいちばん知りたいところです。

学校の常識のなさを、人一倍理解している高橋源一郎さん、
子どもをいったいこれからどーするの??
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