大洗脳時代に備えて・・・できることとは、のつづき

RIMG0880.jpg
これは札幌から大阪への直通貨物だそうです。
5087レ PF65原色
どこがいいんだかさっぱりわかりませんが、
鉄道に詳しい人によると、なかなかすごい写真なんだそうです。
正真正銘フォーミディブルが3月25日に撮りました。何やってんだか(笑)
(本文とは関係ありません)



新版 才能ある子のドラマ―真の自己を求めて新版 才能ある子のドラマ―真の自己を求めて
(1996/05/10)
アリス ミラー

商品詳細を見る


アリスミラーの才能ある子のドラマ、169ページ~173ページ

=================================引用はじめ
親は幼い子どもに社会を媒介する

もしもある人に、あなたの倒錯は、別の社会では全然なんの問題も起こしはしないでしょう、私たちの社会の方が病んでいて、窮屈で、あれこれと無理強いをするのだからといったとしても、言われた方にはあまり役に立たないでしょう。その人は歴史に組み込まれた、ただひとりの存在として、無視され誤解されたと感じるのですし、このような「解釈」はその人の本当の悲劇をゴマ化してしまう役にしか立ちません。その人のもっとも幼い時期における両親との情動上の体験によって心の中にしっかりつなぎとめられているのです。だからこそこれを言葉で解消することはできず、体験によるしかありません。しかもその体験も、大人になってからの修正のための体験ではダメで、非常に幼い時期に味わわされた、夢中で愛している両親に軽蔑されるのではないかという恐れを改めて体験し、それに伴う憤りと悲嘆を経ることが必要です。単なる言葉は、それがどれほど上手にできた解釈であっても、知的空想と身体に残る知との間の裂け目をふさいではくれず、むしろ深めてしまいます。

 そういう事情があるために、なにかの中毒になっている人に向かって、あなたの中毒は、社会が病んでいることに対する反応だと言ってみても、その人の中毒は消失しません。中毒患者のほうは、その種の説明を喜び、それが正しいのだと信じたがりますが、それは、そのような説明が正しいことにしておけば、真実と、それがもたらす痛みを知らないままでいられるからです。けれども、私たちは、自分が見透かすことのできるものによって病気になったりはしません、私たちはそれに対して憤慨したり、起こったり、哀しんだり、あるいは無力感を感じたりできるのですし、誰もそれを妨げる人は居ません。私たちを病気にするのは、見透かすことのできないもの、私たちが両親の目のなかに読み取って、自分の中に取り込んだ、社会の束縛です。そして私たちは、何を読んでも、どれほど教養を積んでも、それから逃れることはできません。それは、そうとは意識されていませんが、私たちの両親の脅迫的なふるまいや。倒錯行為の記憶なのです。両親は子どもである私たちをひどい目にあわせるという形で、自分たちの脅迫的、あるいは倒錯行為を表現してい他のです。
 
 別の言い方で説明してみましょう。助けを求めている人たちの多くは、大変知的な人たちです。その人たちは新聞や本を読み、さまざまなことについて考えます。今日記事見た軍備拡張、惑星地球号の収奪、外交の虚偽、政治権力の放漫と国民の操作、弱者の順応、個人の無力などについて、けれどもその同じ人たちが、自分たちの幼かった頃、両親がどれほど不条理な矛盾だらけの振る舞いをしたかには気づこうとしません。気づくことができないのです。両親の当時のふるまいが思い出せないのは、そのとき痛みも憤りも抑圧しなければならなかったからなのです。当時の感情が湧き上がり、そのときの状況と結びつけられさえすれば、その人の状態は完全に変わります。その当時、ものごとがどのようにからみ合い、つながりあっていたのか、そして両親が子どもをどのように縛ったのかが、徐々によく見えるようになるのです。

 自由の束縛と適応への強制は、会社、工場あるいは党派に属するようになって初めて始まるわけではなく、生後数週間のうちに始まります。この強制はのちに抑圧され、そのために、当然ながら、どのような議論の対象にもならなくなってしまいます。適応や順応の本質は、対象を取り替えたとしても何も変わりはしません。

 熱心な政治活動が、虐待され、束縛され、拘束され、搾取され、押し込められ、おとなしくなるようしつけられた子どもの、それとは意識されていない憤怒から活力を得ていることも、珍しくはありません。政敵に対する戦いのなかで、子の憤怒の一部は発散されることになりますが、その場合にも、自分の幼い時期に、面倒をみてくれた大切な親たちにかぶせている理想化のヴェールははがさないでよいのです。幼い頃に叩き込まれた順応性やききわけのよさは、政治的指導者や、あるいは自分の所属している集団に、その対象がずらされることになるでしょう。

 けれども幻想が放棄され、それに続く悲嘆が体験されたとしても、通常社会的ないし政治的活動に対する熱意が減退することはありません。そのとき生ずるのは純粋に、反復脅迫の行動からの解放だけです。つまり、その人は、より明確な、目的にあった、意識的な行動をするようになり、自分を傷つけるようなことはしなくなります。

 自分自身の真実を体験しないで済むように、次から次に幻想と否認を組み上げずにいられない状態は、一度この真実が体験されてしまえば消失します。そうなれば、自分が本来起こるはずもないことを恐れ、なんとかはねのけようとあくせくしてきたことに気づくのです。起こるはずはない、というのは、実際にはそれはすでに起こってしまっているからです。それも、私たちの人生の初め、私たちがまったく身を守ることができなかった頃に。

 患者さんの厳格な「良心」が療法家や療法グループの寛大な良心と「取り替え」られれば、一時的な症状の軽快という形で療法の効果が上がることはあります。けれども療法の意義は、患者さんの運命を訂正するところにはなく、患者さんが自分自身の運命、そしてその運命に対する悲嘆に向き合い、逃げないで済むようにしてあげることです。患者さんは自分が幼い頃抑圧してしまった感情を、自分の内部に発見しなければなりません。それができて初めて、それと意識されることのなかった両親によるもてあそびと蔑みとを、意識して体験し、それから解放されることも可能になるのです。患者さんが療法家や療法グループの寛大さに依存している限り、両親の蔑みの視線は患者さんの中に留まっています。そして、患者さんは以前より事情を知るようになり、解放されたいという意思もあるのに、両親の蔑みの視線が無意識裡に隠されており、しかも体細胞内に書き込まれているために、まったく何も変わらないままでいなければなりません。その蔑みの視線は、患者さんと他の人たち、あるいは患者さん自身との関係のなかに現れ、患者さんを苦しめますが、それに取り組んで働きかけられることはできないままなのです。意識されることのない内容は時間を超越したままで、変わることもありません――意識されるようになって初めて、変化のきっかけができるのです。

===================================引用終わり

なかなか翻訳物の文章は難しいですね。

私的にどう解釈するかというと、

つまりこれを身体の病気と例えると、


ある病原菌によって人々を支配することを目的として
撒き散らしている組織がある。

私たちはその組織を攻撃している。

しかし闘いは意味がない。
なぜかというと、すでに私たちは生後数週間のうちに、
両親を介してその病原菌に感染しているから。
(アリスミラーによれば、ギリシャ神話が書かれた頃、聖書が書かれた頃からすでに)

しかもその病原菌は、物心付く頃にはすっかり体細胞に取り付いているため、
それが当たり前のことになっているので、自覚症状がない。

それを解消するには、体細胞に取り付いた病原菌をひとつひとつ自分で意識して
取り除いていかなければならない。

医者や病院にも治せない。
自分で自覚して、自分で取り除かなければならない。

そしてそれをやり終えた頃には、すっかり免疫力が付いている。

したがって、病原菌を撒き散らす組織を恐れる必要がなくなる。

だからその組織との闘いは必要ではなくなる。

免疫力の強い人を増やした方が、
その病原菌による支配を目的とする組織に与えるダメージは大きい。



(・・・いや、自覚症状がないどころか、この病原菌は心地のよいものなのかもしれません。
あの女性タレントも、周りの人が、洗脳を解こうとしても、
また占い師の元に戻るかもしれないとうわさされています。
洗脳されている状態というのは、よほど心地が良いのでしょう。)

e0403[1]
スポンサーサイト

コメント

No title

私も正直目を開き始め、またつらい日々が続いてます。
正気を失いかけることもしばしばあります。
だけどこれは心の病気による苦しみではありません。
たぶんあしたの精進のため自分を洗脳してきたものから自分自身を解き放つための立派な試練の苦しみであると信じています。

  • 2012/03/26 (Mon) 18:59
  • あつし #gKumvUXs
  • URL
No title

>だけどこれは心の病気による苦しみではありません。
たぶんあしたの精進のため自分を洗脳してきたものから自分自身を解き放つための立派な試練の苦しみであると信じています。

そのとおりだろうと思います。

ただ、こういった問題について、国境はないと思います。
アリスミラーはヨーロッパの人で、
聖書や、ギリシャ神話、結果的にそれを悪用したフロイトを批判しています。
(エディプス・コンプレックス)
(それについては、後ほど記事にしたいと思います。)
彼らは、日本人より、宗教を大切にしているようですから。

こういった宗教観は西洋人には、現在でも根強く残っているのではないかと私は思っています。

もちろん留学はいいことだと思います。

  • 2012/03/27 (Tue) 07:54
  • フォーミディブル #Ptq.3me.
  • URL

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する