すべてか無か・・・・コントロールの病

それにしても、小林幸子騒動ってすごいですね
http://hogehogesokuhou.ldblog.jp/archives/51891617.html
あの豪華衣装を作り上げてきた、元社長を解雇しただけでなく、
夫の林という人は、まだ元妻との離婚していないのに、
小林に近づき、不倫の関係だったらしい。
元社長はスキャンダルにも気を配ってきたのでしょう。

【 テリー伊藤「マスコミを通じて反論しても、小林幸子という人間にはプラスにならない。ネガティブって何なんだとなる。何ひとついいことない。誰かに間に入ってもらって、内々にしたほうがいい。面白い衣装見たいからね」】


私もそう思う、
どうも人間関係嗜癖というのは、自分にとってプラスになる人を遠ざけ、
ネガティブな人と関係を結んでしまうという、恐ろしい一面があるらしい。

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もちろん、仕事だけが人生ではないし、変な衣装もやめ時かもしれないし、
女なんだし、「愛」に生きたい、妻として生きたい、というのなら、
誰もが納得すると思うんですが、
それだったら、元社長との関係は円満に解消できたはずです。

しかし、仕事も衣装もファンもお金もオトコも夫の肩書きも・・・
すべてを手に入れようとして、あっけなくマインドコントロールされてしまった。

これは、元社長と、小林との二人の人間関係の問題ではありません。
どれだけ多くの人間関係が切れてしまったのか、
小林幸子には想像出来ていないのではないでしょうか。

林明男という夫は、再生医療の会社の社長で、東大にもコネがある、自称スーパーマン。
小林幸子も、世間知らずのお嬢さんじゃあるまいし、こんな肩書きにだまされるとは。
心は強く持っていないといけませんね。

不思議なことに必ずしも、人生経験豊富で、社会地位の高い人が、人格者とはいえません。
それどころか人間としてもって生まれたポジティブな心を、
その立派な地位やキャリアが、覆い隠してしまいかねません。

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心にちょっと残った文を、引用してみます。
「子どもを生きればおとなになれる」
クラウディアブラック
 134ページ~
============================引用はじめ

コントロールできることと出来ないこと

私たちは物事を「すべてか無か」「一か十か」で見がちです。
ですから私たちの人生では、完璧にコントロール権を握っているか、あるいはコントロール不能におちいっているか、どちらかになってしまうのです! 手綱をしっかり握った状態が保てなくなると感じるや否や、私たちは緊急発進し、あらゆる手段を駆使してコントロールを取り戻そうとします。
 けれど私たちには、ある程度コントロールを手放す力が必要です。「ある程度」という言葉に注意してください。コントロールは「すべてか無か」の問題ではないのです。
 12ステップのプログラムを使っている人は、これが「無力を認める」という第一のステップと何ら矛盾しないことがわかるでしょう。無力を認めるとは、コントロールできないものをコントロールしようとする努力をあきらめること。これは「平安の祈り」とも似ています。

 神様、私にお与えください。
 自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを。
 変えられるものは変えていく勇気を。
 そして二つのものを見分ける賢さを。

自分がコントロールできないものを受け入れるというのは、生活に秩序をもたらす努力をあきらめるということではありません。ただ、誰にもコントロールできないことを自分だけは出来るかのような幻想を持つのをあきらめればいいのです。コントロールできないものを受け入れることは、不必要な努力をやめることでもあります。
 明らかに私たちのコントロールが及ばないことはあります――太陽を登らせることは出来ないし、雨をやませることも出来ません。それでも雨水を流す排水路をつくることはできます。あらゆる努力をしたにもかかわらず、水があふれて家が流されてしまうこともあるでしょう。悲しいけれど、どうしようもないことと受け入れるしかありません。「私が雨をとめていさえすれば」と考えて罪悪感や自責感にかられるような混乱におちいったりは。。しないものです。
 けれど生活の他の面では、すぐに混乱が起こります。私たちがなにかを強く望むとき、そのことに命がかかっているかのように思ったり自分の価値がかかっていると思い込んでしまい、「どうしてもそうならなければいけないのだ」と信じるようになります。この考えには、自分にはそうすることが「できる」はずだという信念が含まれるのです。

 「私はどうしてもあの人に愛されなくてはいけない」と考えることは二重の意味で誤りです。――あなたはその人の愛がなくても死にはしないし、雨を止めることが出来ないのと同じように誰かがあなたを愛するようにすることもできません。それでも、なにかがほしいという思いにとらわれすぎると、これがわからなくなってしまうのです。
 親も同じです。「うちの子はいい子でなければ」「うちの子は一生けんめい勉強しなければ」という信念に続くのは「・・・だからわたしはかならずそうなるようにしなければ」です。けれど、結果が出るのは慈しまれ励まされることによってで、コントロールによってではないのです。
 生活を秩序立てようとする努力が無駄というわけではありません。少なくともある程度の時間におけるあるていどの秩序は欠かせません。けれど私たちはしばしば、生活のすべての面や、周囲の人みんなの人生をコントロールしなければという思いに駆られてきたのです。
 何はコントロールできて、何はできないかについて、アーネスト・カーツはこんなふうに言っています。(『The Spirituality of Imperfection』より)

 ベッドに入るかどうかはコントロールできる。
  眠りはコントロールできない。
 本を読むことはコントロールできる。
  理解することかどうかはコントロールできない。
 遊びを始めることはコントロールできる。
  ゲームに勝つかどうかはコントロールできない。
 知識を蓄えることはコントロールできる。
  知恵を得るかどうかはコントロールできない。

コントロールできることとできないことの違いを学ぶのは、自分の限界を受け入れる第一歩です。私たちは神ではないし全能でもありません――ただの人間であり、その力はおのずと限られたものなのです。過去は変えられないという事実を認め、未来をコントロールする力を持たないことを認めましょう。私たちに残されているのは、今ここにある現実の暮らし。「今、ここ」に生きることなのです。
  
============================引用終わり

摂食障害になった人、ダイエットにはまった人、食べ物にストイックな人は、
本来コントロールできないもの
食欲や、体のなかに入った食べ物をコントロールしようと
してしまうのではないでしょうか。

 何をどれだけ食べるかはコントロールできる
   食欲はコントロールできない
   食べてしまったものをコントロールしてはいけない
                   (フォーミディブル 作)

 
原発を作るかどうかはコントロールできる
   事故を起こすかどうかはコントロールできない
   事故を起こした原発はコントロールできない
   漏れた放射能もコントロールできない                   
                   (フォーミディブル 作)


「すべてか無か」によって、
完璧にコントロール権を握らないといられない人たちによる、
コントロールの幻想の、乱用の害は本人だけではすみません。

放射線をコントロールできると思い込んだ人が、
原発や核兵器を作り、乱用しました。

病気をコントロールできると思い込んだ人が、
抗がん剤や精神薬を作り、乱用しました。


その根底にはマインドコントロール(幻想)があるのです。

落ち着きと勇気と賢さをもって、認めてほしいのです。
原発も、人間の身体も心もコントロールできないということを・・・


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