ホームスクールクラブの投稿より、”日本の没落”

私は今まで、ホームスクーラーというのは、個人の問題だと思ってきました。
実際、子どもの学齢期といわれる期間はあっという間に過ぎて、
社会へ出てしまえば、学校へ行ったか行かなかったかなんてもう過去の話で、
うちでは、どうでもいい話になってしまっているからです。

しかし最近は、そうではない・・・「頭でっかち」の、教育の弊害は企業の存亡、
ひいては国の(いや世界の)存亡がかかっていると、そう思うようになりました。
(ですから、ブログで記事を書くことにしたのです。)

たとえばリーマンショックの引き金となった、サブプライムローン問題では・・・

ウィキペディアの一文を引用しますと。

【ウォーレン・バフェットは金融危機調査委員会 (en:FCIC) に対して次のように証言した。「あれは私が生涯見てきた中で最大のバブルだった。…アメリカ市民全体が、住宅価格が劇的に下がることは有り得ないという信仰に囚われていた】

つまり住宅価格が劇的に下がることは有り得ないという信仰に囚われている わけです。
ここで註釈を加えておくならば、”アメリカ市民全体”が、ではないでしょう、
”エライ科学者センセイ”がその”数学理論”とやらを信仰していたわけです。

NHKスペシャルではこういっていました。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/090719.html
=================================引用はじめ
マネー資本主義 第4回
ウォール街の“モンスター”
金融工学はなぜ暴走したのか


サブプライム・ローンという「時限爆弾」を抱えた金融商品が、なぜ大量に生み出され、世界を熱狂させていったのか。今回の金融危機の陰には、金融工学という「科学的なリスク・コントロール技術」の発達と過信があった。そもそもの始まりは、人間の欲望が交差するマネー市場の値動きが、熱力学の法則と極めて近いという発見だった。核兵器や宇宙開発競争が下火になった時代、次の活躍の場を求める科学者がウォール街に流れ込み、数学理論で市場を予測しリスクをコントロールする挑戦が始まった。金融工学と呼ばれるようになったこの技術は、証券化商品やCDSといった新たな金融商品を生み出し、世界のマネーをウォール街に呼び寄せていく。

しかしこの緻密な科学のアプローチにも、重大な弱点があった。それは、パニック時に人間がとる行動までは正確に計算できないこと。バブルが加速し、崩壊の兆しを見せる中で、ついにその弱点が露呈していくことになる。

最先端を走ってきた科学者たちが、ことの真相と問題の本質、そしてマネー資本主義の未来のあるべき姿について語っていく。
================================引用終わり

言いだしっぺは、(立派な大学院を出た)科学者、数学者なんです!!
「金融工学」はノーベル賞経済学賞を受賞した、学者が考え付いた詐欺なんです。

サブプライムローン問題 
「金融工学」は詐欺の手法

http://ww5.tiki.ne.jp/~people-hs/data/5318-4.html
==============================引用はじめ(抜粋)
インチキなノーベル賞学者 
金融機関で金融商品の数学モデルの開発に従事する数学者が一九八〇年代からウォール街で幅をきかせるようになった。「ノーベル経済学賞」を授賞したロバート・コックス・マートンは、リスク(投資にたいする危険の負担)に価格をつけることによって、「証券化」を促進した一人として有名である。またハリー・マーコビッツは数学的な考え方を金融に適用したことで、一九九〇年に「ノーベル経済学賞」を授賞した。かれは、ウォール街で株式や証券の売買によって利益をうみだすトレーダーたちの経験則を数式化したとされている。
 このような学者の潮流を「クオンツ」(定量分析者)とよび、かれらがサブプライムローンをうみだし「証券化」の手法をあみだしたとされている。
 「証券化」によって、何も生み出されていないし、なにも変化していない。サブプライムローンの危険を他に転嫁しているだけである。その転嫁のさいに、「リスクのある部分」「リスクのない部分」にきりわけるというインチキをしているのだ。独占資本に投機の利益をもたらすために人をあざむく理論が「金融工学」なのである。
 だが、サブプライムローンは破たんした。アメリカ独占資本が豪語し、ノーベル賞受賞科学者がつくった「金融工学」なるもののインチキは、実際によって、もののみごとに暴露された。
=================================引用終わり
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貧乏な人に、高価な住宅を売りつければ、
代金とりっぱぐれて、住宅は余っていき
価格が下がるなんて、子どもでもわかると思いますが。
リスクを見えにくくしたんですね。


roan1[1]



こういった信仰の崩壊は、日本でも起こりました。
エライ科学者センセイたちは、
原発から放射能が漏れ出すということは有り得ないという信仰に囚われていた、

そして放射能をガレキに混ぜ込んで全国にばらまけばいいという信仰・・・・
・・・よく似ているといえるのではないでしょうか。

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日本の、学歴信仰、学校信仰はどうでしょうか・・・

ホームスクールクラブ、とうはんさんの投稿です。
http://homeshoolclub.blogspot.com/2012/06/blog-post_06.html
================================引用はじめ

2012年6月6日水曜日
日本の没落
投稿者 とうはん
今般、日本の電機業界の株価の低落に歯止めがかからない。特にパナソニック、ソニー、シャープ、NECと家電系のメーカーは軒並み億単位の赤字を出しているが黒字転換の目途すら立っていない。

このことについて考えてみた。

戦後、日本の家電メーカーが世界を席巻し、アメリカの電機メーカーを次々と破綻へ導いていったことがある。それと同じことが日本と韓国の間に起きていて、次には中国だと思われる。これは時代の流れかもしれない。

振り返ってみるとパナソニックの松下、シャープの早川、パナソニックに吸収された三洋電機の井植も、ホンダの本田もほとんど学校へ行かなかった。ソニーの井深、盛田は大学を卒業したが、後に学歴不要論を表明して実行した。このように日本の戦後の高度成長は彼らの学歴にこだわらない革命児たちにより達成できたと考えている。

ここで、さらに振り返ると明治維新を切り開いた先人たちにより日本は苦労して一等国と言われるようになった。それを率いた明治の元勲たちが現役を退いてから日本は破綻への道を走った。それは明治に作られた西洋式学校制度が生んだ東条英機などいわゆる学校秀才たちの結果であったと思う。

東条英機がまだ青年将校のとき次のように語ったそうだ。「陸軍大将などの指導者は士官学校の優等生によって占められるべきだ。」 そして、徐々にその方向になり、結果的に国土を焦土にしてしまった。

第二次世界大戦で日本軍は兵隊は強いが、将校がバカばかりだと言われた。兵隊は教科書どおりにまじめに戦ったが、将校も学校の教科書どおりに戦争を指揮して裏をかかれたのだ。

敗戦とともに、それまでの価値観が吹き飛び、いわば天井が吹き飛んで青空が見える状態でみんなが走り出したので、若き事業者が次々と生まれたのだろう。

彼ら若き創業者が独創性を発揮し、大衆がそれに従った結果、高度成長が始まった。この指示通り一斉に動く国民は高度成長期は大変な強みだった。

年月が流れ1990年ごろから創業者たちは次々と引退し、代わりに学校秀才たちが経営の中枢に登場してきた。でも、強力な機関車に引っ張られていた特急列車は機関車がなくなると、残ったのは自分では動けない(=考えない)、客車ばかりだったのだ。

高度成長期は単純労働をこなす人が必要で、学校はそういう人を大量生産した。ところが時代は大きく変わった。パソコンが生まれ、途上国が先進国と変わらない生産性を示すようになった。知識が必要な仕事はパソコンがやってしまうし、単純労働は途上国に取られてしまう。でも学校はあいも変わらず、考えない人を大量生産し続けている。

明治の元老も昭和の盛田氏も次の世代に対し大きな不安を抱いていた。このままでは日本は滅びてしまうという不安だった。そしてそれは不幸なことに的中してしまったと思う。盛田氏は学歴社会が会社を滅ぼすと言い、学歴にこだわらない入社試験を試みたが、各大学から猛烈な抗議を受けて断念した。また現実問題として数千人もいる入社希望者を面接で決めることもできず、ペーパーテストと学歴でふるいをかけることになり学校秀才が優先的に入社した。その結果日本企業は前例踏襲と横並びで革命的商品は出なくなった。

なぜ学校秀才が企業を滅ぼすかという点について私の考えは、学校が持つ本質にあると思っている。そしてそれが私の息子を学校に行かせたくないという理由でもある。

基本的に学校は勉強をするところである。その勉強は横一線に並んで同じゴールを目指すという仕組みで行われる。そのため、極力子どもの独自性は排除される。仮に個人の独自性を許すとどうなるだろうか。

クラスに30人からいる生徒が独自の勉強をするという状況を想像すればよく分かる。国語の時間に体育をやりたいというのを許せるだろうか。どうあっても個人の自由な行動は否定される。つまり学校において独自性は否定されることになる。

ここで「我慢ができないと仕事に就いたとき困る」という反論をよく受ける。つまり社会には仕事は我慢するものだという常識がある。はたして仕事というものは我慢するものだろうか。

我慢をするということはやりにくいときでも自分のほうが仕組みにあわせることだと思う。これは秩序を支配する側にとっては都合がいい。
他方我慢しないということはやりにくいときは仕組みのほうを変えるために努力することだ。学校はその努力の仕方を教えればいいだろうと思う。

我慢する世代が経営陣に入れば、ほかの会社がやるから自分も作るのが当たり前になる。だからどの会社も似たり寄ったりの商品ばかりになる。なぜなら学校でも会社でも独自性を発揮することを許されなかったし、考えもしなかった人が経営者になったのだから当然といえる。

ソニー、パナソニックやシャープのテレビを見ても私には区別かつかない。会社名があればかろうじて判別できるが、それなしでは見分けられない。自然に価格競争になる。高くすれば売れない。安くすれば利益が出ない。こうなった理由は学校秀才が経営陣に陣取っているからだといえる。

これは業(ごう)である。どうあがいても直ることはない。私が大好きだったソニーはとうの昔(アイボを売り払ったとき)になくなっていたのだ。

学校秀才という人たちを考えてみると、学校もしくは先生の言うこと、さらには内心考えていることまで先取りしてそれに適応してきた人たちである。こういう人は教科の内容をよく覚えて(理解していなくても)それをうまくテストで書ける人たちだ。学校の教えることに疑問を持ったらテストでよい成績は取れない。

独自性は子どものときから困って、考えぬくことから生まれると私は思っている。そういう意味ではよい先生の言うことは分かりやすくて、得心が行くので子供たちは考えないでそのとおりやるだろう。それが問題なのだ。今の日本の問題につながるのだ。

世界中の学校が大なり小なり同じ問題を抱えているが、日本は本質的に同調圧力の強い文化だから深刻で、これから多くの大企業や日本そのものが学校秀才に血を吸われて徐々に弱体化し解体されていくだろうと思われる。

私たちはやがて世界を相手にしなければ豊かな生活は望めない時代になる。学校へ行けば世間を渡るための知識を得るかもしれないが、そのとき世界ははるか先を走っているだろう。

=================================引用終わり

百歩譲って、たんまり血を吸った者が生き残れるかというと・・・
寄生の宿主が、息も絶え絶えでは、命も長くはないでしょう。

images[2]
放射能まみれの地球では、どんなに良い学校を出ていても、生き残れないように。
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