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お金にまつわる問題 

富は海水に似ている。
飲めば飲むほど喉が渇く。
名声についても同じことが当てはまる。


アルトゥル・ショーペンハウアー、(ショーペンンハウエル)の言葉です。

また、ショーペンハウアーは、こんなことも言っています。

人は通常、
金を貸すことを断ることによって友を失わず、
金を貸すことによってたやすく友を失う。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



妹の行動は私には理解できません。
いくら精神的虐待をする親であっても
どうしてここまで、母を踏みつけにするようなことができるのか。

妹のなかでは、
母から嬉々としてうばい取ったお金を(お金は自分のためには使わず)
これ見よがしに他人に貢ぐという流れになっているようです。
私にはそう見えます。


母はほとんど人格障害で、私はどちらかというと、座敷牢か、というほどの束縛。
妹は子どもの私がみても、放っておいて大丈夫だろうかと思うほどの放任でした。
兄弟姉妹でもあまりに、対応が違うというのも、
どの兄弟姉妹にとっても、やはり心の傷を残すということは、同じです。

お金は愛の代替品。
妹は母の愛が、ほしかったのではないでしょうか。
そして母に振り向いてもらえなかった、寂しさから、
お金(愛)を周りの人たちにばら撒いて、振り向いてもらいたいのではないでしょうか。

妹は気がついているのかいないのか??
気がついていたら、行動を改めようとするでしょう。
代替品に振り回されるような人生は、むなしいと思うでしょうから。
でも、行動を改めようとする気配は感じられません。

私はラッキーだったのかもしれません、
ひどいパニック発作が起きたことによって、
今までの私の「無意識の」行動パターンは、通用しないと悟ったから。
そして自分の行動や考え方を、少しづつ見直していくことができていると、
今は実感できるから。

少しづつ「良い子」からの脱却をできていると思うから。

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私はお金を否定しているのではありません。

生活のためのお金、自己投資のためのお金は必要です。
しかし、人ひとりが、1日に食べる食べ物の量、1日に着る服の枚数、
1日に読める本の冊数なんて、知れたものです。限界があります。

しかし人間関係にお金を使い始めると、きりがありません。
例えば、買い物依存症は、物が必要なのではありません。
店員と自分という人間関係に、嗜癖しているんです。
だから借金してまで物を買いあさるのです。

ギャンブル依存で、パチンコ台の前にへばりついている人は、
今夜はおいしい焼肉を腹いっぱい食べよう、とか、
今度の休日にはどこかへドライブに行きたいな、
なんて考えているでしょうか。



今回の、当ブログ記事には、天才たちの言葉を掲載しましたが、
自己投資以外に、お金を有効に使うということは、
彼ら天才たちにとっても、ひじょうに難しいということではないでしょうか。

言いかえれば、
母親の愛情というものを手に入れる代価としての「支払い」をさせられている 
ともいえるのではないでしょうか。
「支払い」させられるのが、
お金であったり、健康であったり、能力であったりするわけですが。

私はアリス・ミラーの本はだいたい読んでいますが、
お金について書かれた文章は少ないと思います。
「才能ある子のドラマ」には、ちょっと変わった文章がありました。

アリス・ミラーがなぜアルフォンス・ドーデの「黄金の脳」という話を引用したのか。
この物語の主人公、
「親に金銭的援助をしたり、友人に裏切られたり、女性に物を買い与えたり
愛する人のために立派な葬式をする人なんて、普通にいるじゃん」と。
「普通のことをやっているのに、なぜ頭がバカになって死んでしまうのか」

アリス・ミラーの意図が、以前はよく理解できなかったのですが、
最近、少しはわかるようになった気がしますので、その部分をここに書き写します。



この物語では、黄金の脳を持つ主人公も自分のために
「自分の脳、お金」を使うというより、人間関係の間で多くが使われています。

それについては説明されていませんが、
なにか、ミラーのいいたかったことと関係があるのでしょうか?

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========================== P43~ 引用はじめ

黄金の脳

 アルフォンス・ドーデの『風車小屋だより』のなかに、少し奇妙な雰囲気だと思われるかもしれませんが、私がこれまでのところでお話したこととかなり共通するものをもったお話があります。おとなによっていいように利用される子どもについて述べてきたこの章の終わりに、このお話の内容をかいつまんでご紹介しておこうと思います。
 昔あるところに黄金の脳をもった子供がいました。子供の両親がそのことに気づいたのは偶然でした。その子が頭をけがしたとき、血が流れるかわりに黄金が流れ出してきたのです。親たちはその子を大切に保護するようになり、他の子たちとつき合ってはならないと言いつけました。黄金の脳が盗まれてはいけないからです。その男の子が大きくなって、世の中に出たいと言い出しますと、母親がこう言いました。「私たちはお前のために、これほどいろんなことをしてやったのだから、お前の宝物を分けてもらってもいいんじゃないかね」。そこで息子は自分の脳から金の大きな一塊を取ると、それを母親にやりました。世の中に出た若い男は、自分の富を使って安楽に暮らし、一人の友人と一緒に住んでいましたが、その友人はある晩男の宝を盗んで逃げてしまいました。ひどい目にあった男は、以後は自分の秘密を誰にも打ち明けず、働くことに決めました。宝の残りがかなり心細くなっていたからです。ところである日男はきれいな娘に恋をしました。その娘の方も男を好きになりましたが、しかし、男が自分にふんだんにくれる美しい服も同じぐらい好きだったのです。男は娘と結婚し、幸せに暮らしましたが、2年後に妻が亡くなりました。妻の葬式を立派なものにするために、男は残っていた宝物をすべて使い果たしてしまいました。その後あるとき男は衰弱し、貧しく、不幸なありさまで町をさまよっていましたが、ある店の窓に、妻にぴったりのきれいな短靴が飾られているのを見つけました。妻が亡くなっていることも忘れ――たぶん、脳が空っぽになっていて、うまく働いてくれなかったのでしょう――男はその短靴を買おうと店の戸をくぐります。けれどもちょうどその瞬間男は倒れ、店の売り子は床に倒れている死人を見つけたのでした。
 ドーデは自分自身、脊髄の病気で亡くなったのですが、この話の最後にこんなことを書いています。「この物語は作り話のように見えるでしょうが、最初から最後まで真実なのです。人生の取るに足らないことのために、自分自身の実質と、脊髄で支払いをする以外ない人間が実際にいるのです。それはいつでも同じようにつらく、痛みが減ることはありません。そうして、もしそういう人間が、この苦しみにに疲れ果ててしまいますと・・・・・」。
母親の愛情なども、「取るに足らない」けれども人生に欠くことのできないもので、それを手に入れる代価としてたくさんの人が――逆説的なことに――自分の生命力や活力を支払わされているのではないでしょうか。

==============================引用終わり

h0005[1]
(アルフォンス・ドーデという名の、バラです)
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