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治療は誰のためにあるのか

朝日新聞beより、近藤誠さんの記事の続きです。



残念ながら、若い人や、男性はご存じない方が多いと思うのですが、
近藤さんの功績は大変に大きいです。

乳がん手術は、ハルステッド手術でも乳房温存療法でも、
生存率に変わりはないという事実を、
広く社会に知らしめた「事件」に原点があるといえるでしょう。

あれから25年も経つのですね、
当時まだ若く、がんなんて他人事だった私でも、
このニュースは、衝撃的でよく覚えています。

ネットなどで、近藤さんを批判している人たちも、
知らない人が多いのではないでしょうか。

乳がんブログを見ていても、
乳がんと宣告されたが、
全摘といわれず部分切除といわれて不満(不安)に思っている、みたいな・・・



近藤さんは、最近、
『白い巨塔』の主人公・財前五郎のモデルとなったとされる日本外科界の権威、
大阪大学第二外科元教授神前(こうさき)五郎医師に
「がんもどき理論」を引っ込めろといわれたらしいですが、
ひどすぎます。

有名ながんの先生たちは、
がんの原因は、よくわからないとか、
生活が欧米風になったからだとか、
受動喫煙だとか、ヒトパピローマウイルスだとか
乳がんの原因は、女性が子どもをあまり産まなくなったからだとか、
そんなアホみたいなことを言っているんです。

日本の文化にとって宝ともいえるような有名人たちを、
がん治療と称して、若死にさせているのは、だれですか?

私の知人は、転移したがんを放置していますが、中村勘三郎さんなんかより、
ずっと、長生きで、それなりにアクティブに生活しています。



がんの原因はよくわかっていないといいながら、
”がんもどき”はうそだ、とか、
治療法はこれが絶対正しいなんて、はたして言えるものでしょうか。

テレビでは、大門未知子とかいうキャラに「切らないと死ぬよ」だとか、
「私、失敗しないので」みたいなことを言わせていますが
これってほとんど洗脳なので、
プロたるものこちらを叩いた方がいいのではないでしょうか。

20120316123532b41[1]
(画像は本文とは関係ありません)


アメリカ人の書いた本にも、
病院のやっている事をはっきり批判している、医者が書いた本があります。
乳がんの原因がはっきり書いてある本があります。
それらが日本語に翻訳されています。

私は近藤さんとも神前さんとも利害関係があるわけではありません。
がんの研究者でもありません。
今のところがん患者でもありません。
誰々さんの言っている事が正しいと、いえる立場ではありません。

・・・しかし、いろんな意見を認めるべきです

原発に反対し、学校教育はヤバイと言い、
病院で処方される薬は飲んじゃいけないと言い・・・
キチガイ扱いされ、はっきりいって村八分にされてきた、
そんな私だから
ここは強く主張できるところなのかもしれません。



ここに、乳がん手術について書かれている記事を書き写します。

10月19日 朝日新聞Beより

=================================引用はじめ

治療は誰のためにあるのか
医師 近藤誠 中


近藤誠(64)が放射線科の研修医になって初めて立ち会った手術は、40代の乳がん患者の手術だった。当時、乳がんの手術は乳房を全適するハルステッド手術がほとんど。
<乳房と筋肉がひとかたまりになったまま身体から切り離され、金属製のお盆にポンと置かれたときには、ため息がでた>(『なぜ、ぼくはがん治療医になったのか』)
1979年、31歳のとき、近藤は担当教授の推薦で米国に留学する。滞在中、欧米の放射線治療の現場を見て回った。
欧米ではハルステッド手術と生存率、再発率が変わらないという理由から、がんの部分だけくりぬいて摘出する「乳房温存療法」が主流になっていた。
「肉体的にも精神的にも負担が重いのに、日本では、なぜ一律に全適するのか」。乳房を失って青ざめる女性たちを見てきた近藤は、帰国後、日本にも温存療法を広めようとする。論文を書いて学会で発表し、大学病院でもことあるごとに温存療法のメリットを訴えた。
 だが、外科が圧倒的な力を持つがん治療の世界で、30代の一放射線科医の意見に耳を傾けるものはいなかった。「当時、医師の世界は教授の存在が絶対。逆らったら居場所がなくなる。頭ではこちらが正しいと思っていても、教授の言うように治療するしかないんだよ」と近藤はいう。でも、と続けた。「ぼくはそんなふうに患者を売り渡したくなかった・・・・・」
 医師の世界で議論しているだけではだめだ。そう思った近藤はマスコミを通じて、温存療法を社会に広く知らしめていこうと考えた。一方大学病院では、近藤の同期で米国に留学した外科医と組んで、独自に温存療法を実践していった。
 そして88年、近藤は「事件」を起こす。月刊誌、『文芸春秋』6月号に「乳がんは切らずに治る」と題した論文を発表。東大と慶応大学病院の名前を挙げてハルステッド手術のやり過ぎだと指摘し「治癒率が同じなのに、勝手に乳房を切り取るのは、外科医の犯罪行為ではないか」と問題提起したのである。
 執筆する動機には、以前、出会った乳がん患者の存在があった。30代の女性患者はマスコミの報道で温存療法を知り来院した、近藤の診察を希望していたが、近藤が知らないうちに外科に回され、乳房の全摘手術を受けることになった。女性患者が「近藤先生の見解が知りたい」と頼んでも黙殺されていたらしい。偶然その事を知った近藤は、怒りを抑えながら、なんとか患者と連絡をつけて診察した。患者は他の病院に転院し、希望する温存療法を受けた。

問題提起し孤立の道へ 
さて、どうするか。相手はがちがちのヒエラルキーが支配する巨大組織である。抗議したところで「無視されて終わり」になることはわかりきっていた。
 文芸春秋編集部から「がん治療について何か書かないか」と以来があったのは、そんな悶々とした日々を過ごしているときだった。金脈問題の追求で田中角栄政権を倒した権威ある雑誌で書く事は世間に広く温存療法を伝えるチャンスだと思った。 
 ただ、出世はどうでもよかった近藤にも不安はあったという。強固なムラ社会で「裏切り者」の烙印を押されたら一生、孤立して生きていくことになるだろう。その孤独に自分は耐えられるか・・・・・・。同じ大学病院で勤務し、それまでも近藤の研究に様々なアドバイスをしていた妻(65)は、この時も「あなたが思うようにしなさい」というスタンスでそっと見守ってくれた。
 最後は苦悩するがん患者たちの姿が浮かんで、思い切ったという。「何の目的もなく医師になった自分に、医師になった意味があるとしたら、こういうことだろう」――。
 「近藤さん?悩んだり迷ったりしているそぶりはなかった。非常にサバサバして見えましたよ」と担当編集者だった文芸春秋専務の松井清人は言う。松井が印象的だったのは近藤よりも、近藤の原稿を読み終えた編集長の姿だった。編集長は一言こういったという。「この人は戦っています・・・」
 日本の乳がん治療を根底から揺るがす論文は大きな反響を呼んだ。議論を深めるいい機会だと思った松井は、名だたるがんの名医や権威に近藤との対談を申し込んだ。が、全員に拒否された。
 学内の反応は近藤の予想通りになった。乳がん治療の権威として知られる外科の教授は、近藤の担当教授を通じて謝罪を要求した。近藤が突っぱねると、今度は担当教授が出向を促した、他科から患者がぴたりと回ってこなくなった、廊下ですれ違う医師は避けて通る。露骨にいやな顔をする者もいた。


==========================引用終わり
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